ソフトウェア開発の成果を上げる感情知能|ナレッジ共有を阻む「配慮」の罠
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ソフトウェア開発の現場では、厳しい納期や予期せぬ技術的トラブル、仕様変更により、メンバーは常に高いストレスにさらされています。このような環境下でチームのパフォーマンスを最大化するには、技術的なスキルだけでなく、感情をうまく扱う能力、すなわち「感情知能(EI)」が鍵を握ると言われています。
しかし、単に「感情豊かであれば良い」「空気が読めれば良い」という単純な話ではありません。
本記事では、米国アーカンソー大学等の研究者らによる研究論文「Elevating the Performance of Software Development Teams by Leveraging Emotional Intelligence through Improved Knowledge Sharing」に基づき、感情知能が開発チームのナレッジ共有とパフォーマンスに与える具体的な影響について解説します。
調査の概要:86のソフトウェア開発チームを分析
本研究は、ソフトウェア開発チームにおける感情知能(EI)の役割を解明するために実施されました。具体的には、EIがチーム内の「ナレッジ共有」を促進し、その結果として「チームパフォーマンス」が向上するという仮説モデルを検証しています。
調査の対象となったのは、米国南部の7つの大企業に所属する86のソフトウェア開発チーム、計357名のメンバー(リーダーおよびメンバー)です。集められたデータは、マルチレベル構造方程式モデリングという高度な統計手法を用いて分析されました。
感情知能(EI)の4つの次元とは
分析結果を理解するために、まず本研究で定義されている感情知能(EI)の4つの次元について整理します。EIは「自分」と「他者」、「認識(Awareness)」と「管理(Management)」という2つの軸で、以下の4つに分類されます。
- 自分自身の感情の認識 (AWRS): 自分の感情の状態をリアルタイムで理解する能力。
- 他者の感情の認識 (AWRO): 顔色やボディランゲージから他者の感情を読み取る能力。
- 自分自身の感情の管理 (MGTS): 衝動的な反応を抑え、適切に感情を表現する能力(自己調整)。
- 他者の感情の管理 (MGTO): 他者の感情にポジティブな影響を与え、場の空気を良くする能力。
| 焦点 \ 能力 | 認識 (Recognition) | 調整 (Regulation) |
|---|---|---|
| 自分 (Self) | 自分自身の感情の認識 (AWRS) | 自分自身の感情の管理 (MGTS) |
| 他者 (Others) | 他者の感情の認識 (AWRO) | 他者の感情の管理 (MGTO) |
図表1:チームにおける感情知能の4つの側面(論文内の図2をもとに作成)
分析結果:チームの成果を左右するEIの要素
分析の結果、開発チームのナレッジ共有とパフォーマンスに対して、EIの各要素がそれぞれ異なる影響を与えていることが明らかになりました。中には、一般常識とは異なる意外な結果も示されています。
図表2:分析結果のモデル図。実線は有意な影響が確認された経路を示し、太線は影響の強さを表す
1. 「他者の感情管理」と「自分の感情認識」が鍵
研究結果によると、以下の2つの要素がナレッジ共有とチームパフォーマンスの両方を直接的に向上させることがわかりました。
- 他者の感情の管理 (MGTO): メンバーが落ち込んでいるときに励ましたり、対立を建設的な方向に導いたりする能力です。これが高いと、チーム内の信頼感が高まり、ナレッジ共有が活発化し、結果としてプロジェクトの成果が上がります。
- 自分自身の感情の認識 (AWRS): 自分が今どう感じているかを正しく理解する能力です。意外なことに、この能力は感情の管理を経由せずとも、直接的に良い影響を与えることが判明しました。自分の状態を素直に認識できる人は、周囲に対しても誠実に振る舞うことができ、それが心理的安全性や信頼につながると考えられます。
2. 「他者の感情」を気にしすぎるとナレッジ共有が減る
本研究で最も注目すべき発見の一つは、「他者の感情の認識 (AWRO)」が高いほど、ナレッジ共有が阻害される(負の影響がある) という結果です。
一般的に、相手の気持ちを察することは良いことだと考えられています。しかし、複雑な課題解決が求められるソフトウェア開発の現場では、相手の顔色を伺いすぎることがマイナスに働く場合があります。「これを言ったら相手を傷つけるかもしれない」「場の空気を悪くするかもしれない」という過度な懸念から、重要な指摘やアイデアの共有をためらってしまう「善意の保留(Benevolent Withholding)」と呼ばれる現象が起きている可能性があります。
3. 「自分の感情管理」はパフォーマンスに直結しない
もう一つの意外な結果は、「自分自身の感情の管理 (MGTS)」が、ナレッジ共有やチームパフォーマンスに有意な影響を与えなかったことです。
怒りや焦りを抑える自制心は重要そうに見えますが、開発業務のような認知負荷の高い作業においては、感情を抑え込むこと自体に脳のリソースを使ってしまい、本来の業務パフォーマンスやコミュニケーションに割くリソースが削がれてしまう可能性があります(認知負荷理論)。あるいは、自分を律することよりも、他者に働きかけることの方がチームへの貢献度が高いことを示唆しています。
現場マネージャーへの実践的アドバイス
以上の結果を踏まえ、ソフトウェア開発チームのマネージャーやリーダーはどのようにチームを運営すべきでしょうか。研究論文で提案されているガイドラインを、すぐに実践できる具体的なアクションとして整理しました。
| テーマ | ガイドライン | 具体的な実践アクション |
|---|---|---|
| パフォーマンスの基盤 | 感情の動きを認識・管理し、定期的な表現を促す。 | ● 朝会での「今の気分の共有」(感情チェックイン) ● 業務時間内に行う感情マネジメント研修 ● プロジェクト終了後の「感情面の振り返り」 |
| 採用・リーダーシップ | 自己認識と他者管理に優れた人材を登用・育成する。 | ● 採用面接での「感情シナリオ(トラブル時どう動くか)」テスト ● 昇進基準への「EI(感情知能)スコア」の導入 ● 科学的根拠のある適性検査の活用 |
| メンバーの能力開発 | 自己認識とレジリエンスを育む仕組みを作る。 | ● 1回15分の短時間学習(マイクロラーニング) ● 自分の感情を書き出す「ジャーナリング」の推奨 ● マインドフルネス(瞑想)の時間の確保 |
| 信頼と協力の醸成 | 建設的な対立解決を教え、対話を常態化させる。 | ● 過去のトラブル事例を使ったロールプレイング ● お互いの感情対処法を学ぶワークショップ ● メンター制度による1on1コーチング |
| 心理的安全性の確保 | 知識共有を阻害しない「思いやりのある率直さ」を促す。 | ● 共感力と自己主張(アサーション)をセットで学ぶ研修 ● 匿名で懸念を伝えられる目安箱の設置 ● 会議での「発言量」や「安全性」のモニタリング |
図表3:ソフトウェア開発チームのマネージャー向け導入ガイドライン(論文内のTable 10をもとに作成)
今すぐできる3つのアクションプラン
この表に基づき、特に重要なアクションプランをまとめます。
- 採用・配置での重視点: チームメンバーやリーダーを選ぶ際、「自分の感情を認識できるか (AWRS)」「他者の感情をうまく扱えるか (MGTO)」という能力を重視します。これらはチームの潤滑油となり、成果に直結します。
- 「察しすぎ」による弊害を防ぐ: 「他者の感情認識 (AWRO)」が高いメンバーが萎縮しないよう、心理的安全性を確保することが極めて重要です。「建設的な意見は、相手への攻撃ではない」という文化を作り、相手を思いやりながらも率直に意見を言う(Caring Candor)姿勢を推奨しましょう。
- 感情のチェックインを導入する: デイリースタンドアップミーティングなどで、今の感情状態を簡単に共有する時間を設けます。これにより、自分の感情を認識する機会を日常的に作り、感情を無視せず業務の一部として扱う文化を醸成します。
結論
ソフトウェア開発チームにおいて、感情知能は間違いなく重要な資産です。しかし、単に「空気を読む」だけでは不十分であり、時にはナレッジ共有を阻害する要因にさえなり得ます。
重要なのは、自分自身の感情を正しく認識すること、そして他者の感情にポジティブに働きかけることです。一方で、相手の感情を推し量るあまり必要な発言を飲み込んでしまわないよう、リーダーは「発言しても安全な環境」づくりに注力する必要があります。これらの特性を理解し、戦略的にチームマネジメントを行うことで、開発プロジェクトの成功率はより確実なものとなるでしょう。
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参考資料: