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オフィス vs リモート: チーム開発のフローを最大化する「中断」マネジメント

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ソフトウェア開発(SD)は、高度な専門知識と、緊密な連携が求められる複雑な共同作業です。近年、心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー」という概念が、知識労働者の生産性向上への鍵として注目されています。フローとは、人が活動に没頭し、時間や自我を忘れ、高い集中力と幸福感、内発的動機付けを得ている状態を指します。

情報システム(IS)研究では、特に知識労働者のフロー体験と、それを阻害する可能性のある「ITを介した中断」に注目が集まっています。従来、「中断」は悪とされてきましたが、近年の研究では、場合によってはプラスの影響を与える可能性も示唆されています。さらに、リモートワークの普及は、ITを介した中断の増加といった課題も生んでいます。

本記事は、研究論文「The Impact of Interruptions on Different Types of Flow in Collaborative Software Development Work」(2024)の内容を基に、リモートワーク時代における共同開発のフローと「中断」の関係性について考察したものです。 この研究は、共同ソフトウェア開発におけるフローと中断の影響を、オフィスとリモートの両面から調査しました。特に、以下の2つの問いに焦点を当てています。

  • 開発者は、オフィス勤務とリモートワークでどうフローを経験する?
  • 中断は開発のフローにどう影響する?

25人の開発者へのインタビュー調査

フロー体験の実態を探るべく、25人の開発者を対象に半構造化インタビューを実施。2022年後半から2023年初頭にかけて、ビデオ会議ツール「Zoom」を介して行われました。参加者は、フィンランドの民間企業および公共機関で働く、ジュニアからシニアまで、様々な役職の開発者です(例:ジュニアWeb開発者、シニアソフトウェアエンジニア、リード開発者、スクラムマスター)。

インタビューでは、参加者の過去のフロー体験、普段の仕事の状況、フロー状態に影響を与える要因、そしてフロー状態がもたらす結果、さらにオフィス勤務時とリモートワーク時のフロー体験の違いについて詳細に質問しました。

データ分析においては、まず、インタビューの逐語録からフロー体験を示す発話部分を特定し、詳細なコーディングを実施。次に、Hackertら(2023)のフローの分類(単独、共行動的、私的対話的、共有対話的、グループフロー)に従って、フローの種類を区別しました。さらに、参加者の発話から、中断の種類、中断がフローに与える影響(誘発、持続、促進、減速、阻害)、および作業モード(オフィス、リモート)を特定し、それらの関連性を包括的に分析しました。

開発現場に現れる5つのフロー

分析の結果、開発の現場では、以下の5種類のフローが生じていることが確認されました。これらは、共同作業を伴うか否かで、非共同作業フロー共同作業フローに大別できます。

ソフトウェア開発作業におけるフロー状態の種類

フローの種類作業モード説明参加者の例
単独 (Solitary)一人個人が一人で作業しているときのフロー状態。「最初は、空のオフィスをうろうろして、土壇場まで先延ばしにするような仕事の段階です。しかし、どこかのタイミングで、計画が固まり始め、何をすべきかがわかり、コーディングの段階に入り、フロー状態に入るようになりますね」(SD2)
リモート「ここ(自宅)で仕事をしている時が、一番フロー状態に入りやすいんです。まさにそれが理由で、もう3年もここで働いています。」(SD3)
共行動的 (Coactive)同僚と一緒だが、やり取りはしない他の人がいても、相互作用がないときのフロー状態。「確かにフローの時間はあります。しかし、その時間を確保する必要があります。例えば、カレンダーに記入するとか、ヘッドフォンをつけるとかして、他の人に『私は今考えている最中だ』と視覚的に示す必要があります」(SD6)
リモートN/A
私的対話的 (Private interactive)同僚とやり取りしている個人が他の人と対話しながらフロー状態にあり、その対話が単一方向的にフローを可能にする。「上司や同僚から何かを褒められたときでも、フローに入ったことがあります。そういった成功体験がフローを引き起こすことがあるんです」(SD11)
リモート「一般的に、いつも会議に出席するのではなく、良いチャットツールを使うことが、このフローの状態を促進するのに役立っていますね」(SD19)
共有対話的 (Shared interactive)同僚とやり取りしている複数の個人がフロー状態にあり、相互に対話しながら、その対話が相互にフローを可能にする。ただし、フロー状態は個々のものである。「他のチームの人がいる状況もありました。私たちは熱心に物事を進めていて、ある意味では、完全な没頭状態ではありません。周りで何が起こっているかはわかっています。でも、そういったフローにおける普段のリズムは、常に良いエンゲージメントと迅速な進歩をもたらしてくれました」(SD12)
リモート「突然、良いフロー状態になりました。私たちは『あなたはこれをやって』『じゃあ私はあれをやるよ』といった感じで、ボールを投げ合うように作業を進めていました。時にはビデオ通話をしたり、画面を共有したりしましたが、ほとんどの場合は、チャットでの一言だけでした。『電話で友達に聞く』ライフラインを使っているような感じでしたね」(SD9)
グループフロー (Group)同僚とやり取りしているグループメンバー全員が同じ共有フロー状態にあり、相互に対話している。「特に本番環境のバグ対応のようなものでは、チームフローになることがあります。解決すべき共通の問題があるので、それを解決する人が多いほど、通常は利益になります。その種のフローは、問題が解決され、変更を本番環境に反映させるまで続くことがありますね」(SD21)
リモート「電話で簡単にフローに入ることができます。ポジティブな雰囲気があって、誰もが何かを持ち寄り、同じ目標を共有している。それが共有されたフローにつながることがあります」(SD11)

「中断」は敵か味方か?:多様な影響とそのメカニズム

インタビューデータからは、様々な「中断」がフローに対して、以下の5つの異なる影響を与えることが明らかになりました。

  • 誘発 (Inducing): フロー状態の開始を促す。
  • 持続 (Sustaining): フロー状態の維持を助ける。
  • 促進 (Boosting): フロー状態を何らかの方法で強化する(例:互いにモチベーションを高め合う)。
  • 減速 (Slowing down): フロー状態を弱める、あるいは深化を妨げる。
  • 阻害 (Disrupting): フロー状態からの離脱を引き起こす。

そして、中断の種類、フローへの影響、作業環境の関連性は以下の表のようになりました。

フローへの中断とその影響

中断作業モード参加者の例フローの種類フローへの影響
即時かつ詳細なフィードバックの受信オフィス「ペアプログラミングで良いフロー状態になったことがあります。同僚とアイデアを出し合い、実験を行い、すぐにフィードバックを受け取りました。何時間も続けました。それは私が経験した最高のフロー体験の一つでした。相手のフラストレーションや熱意を、本当にその場で感じ取ることができるんです」(SD12)私的対話的, 共有対話的, グループ持続
リモートN/AN/AN/A
共同での問題解決オフィス「モブプログラミングの背後にある考え方は、物事が遅れる最大の理由は情報を待っていることだということです。どこかの誰かがそれを行う方法を知っていても、あなた自身は知らなかったり、自分がやっていることを検証できなかったりします。しかし、モブプロではメンバーがその場で意思決定を行い、同時にそれらを検証することができるのです」(SD13)私的対話的, 共有対話的, グループ促進
リモート「ペアプログラミングで良いフローに入ると、まず一人が何かを思いつき、もう一人が『これはどう?』という具合に、どんどんアイデアが出てきます。本当に楽しい仕事のやり方ですね。特にそれがとても複雑な問題で、一人では本当に大変なものであればなおさらです。でも、ペアと一緒に問題に取り組むことで、解決できることがあります。彼らは自分とは異なる解決方法を持っているかもしれないからです」(SD22)私的対話的, 共有対話的, グループ促進
フローの伝達オフィス「もしフローが起こり、チームとして働いているなら、それは他のメンバーにも伝わっていきます。そうすると、次の日もまた仕事に戻るのが楽しみになりますね。そういったフロー体験は、ある意味で、自分自身を前進させてくれる原動力となるんです」(SD19)私的対話的, 共有対話的, グループ誘発
リモート「期限によって共通の目標意識が生まれ、私たちはフィニッシュラインに到達するために残業をしました。私たちは強い意欲を持ち、チームスピリットを作り出していました。チャットで頻繁にやり取りをしていて、リモートでも、本当にうまくいったと思います。議論を重ね、多くの臨時ミーティングも実施しました」(SD19)私的対話的, 共有対話的, グループ誘発
自己誘発的な中断オフィス「もし『これ、どうやればいいんだろう?誰かに聞かなきゃ』といったような、何かしらの中断があると、フロー状態に入れなくなってしまいます。フローに入るには、これから2時間、自分が何をすべきかを正確に把握できるだけの、ある程度まとまった時間が必要ですから。」(SD2)単独, 共行動的阻害
リモート「そういった中断はかなりたくさんあります。しかし、その多くは自分で引き起こしてしまっているものです。例えば、これといった理由もなしに、インスタントメッセンジャーなどをつい見てしまうことがありますね」(SD15)単独, 共行動的阻害
予期せぬ会話オフィス「誰かから話しかけられてしまうと、中断は常にフローを妨げてしまい、元の状態に戻るのは難しいですね。チャットやメールが問題だとは思いません。それらは閉じることができますから。でも、オフィスでは、誰かが来て『ちょっと話があるんだけど』と言ってきたら、無視するわけにはいきません」(SD2)単独, 共行動的阻害
リモート「私は大きなチームを率いているので、Teamsなどでメッセージが来ると、フローが中断されてしまいます。ただ、必ずしも完全に中断されるわけではありません。その内容や、私が全く別のことを考えなければならないかによって変わってきますね」(SD24)単独, 共行動的阻害
オフィス「気軽に会話ができる雰囲気は良いものです。誰かが作業を中断させたとしても、必ずしもそれが作業を遅らせたり、結果を悪化させたりするわけではありません。なぜなら、もしそれが話題に関連しているなら、むしろプロセスをスピードアップさせてくれる可能性すらあるからです」(SD6)私的対話的, 共有対話的, グループ誘発, 持続, 促進
リモートN/AN/AN/A
役に立たないフィードバックの受信オフィス「物事が直接的に表現されることに慣れていると、異なる文化圏で働く場合、常に相手の言葉を『解釈』しなければならないように感じます。『彼らはこう言ったけど、本当は何を意味しているんだろう?』と。言葉通りに受け取れないことが多く、言葉の裏を読む必要があるんです。『よくやった』と言われたとしても、実は『自分で気づくべきだったのに、なんてひどい仕事だ』という意味である可能性もあります」(SD9)私的対話的, 共有対話的, グループ阻害
リモート「チームワークと協力について考えると、リモート環境はそれを行うための適切なプラットフォームではないように思います。私はリモートでペアやグループでのコーディングを試してみましたが、ある意味では機能します。しかし、何かが欠けているんです。非常に空虚な感じがして、もはや本来のチームワークの状況ではなく、単にコーディング作業を伴う会議を進行しているだけ、というような感覚になってしまいますね」(SD12)私的対話的, 共有対話的, グループ阻害
グループの非互換性オフィス「私はグループで働くのが好きです。しかし、それがうまくいくことは非常に稀です。うまくいくためには、様々な条件が同時に満たされる必要があります。例えば、メンバー同士の相性が良く、同じような考え方を持っている、といったことが重要です。それが、私がグループで働く上で難しいと感じている点ですね」(SD15)グループ阻害
リモート「もし、あなたのパートナーとの相性が悪い場合、もちろん、フロー状態に入ることも難しいでしょう。なぜなら、お互いにどのようにコミュニケーションを取るべきか、といったことが分からないかもしれないからです。問題は、世の中のツールは、どのようにコードを書くか、ということばかりに焦点が当てられていることです。しかし、人々をうまく協力させるためのツールはどこにあるのでしょうか?プログラミングの世界では、その点については、まだあまり考えられていないのが現状です」(SD12)グループ阻害

環境とフロー: オフィスとリモート、どちらが「正解」?

  • 単独フロー: リモート環境で生まれやすい。リモートでは、非同期コミュニケーションなどを活用し、自己誘発的な中断や予期せぬ会話をコントロールしやすく、フローを持続させやすい。
  • 共行動的フロー: オフィスで生まれやすい。「適度な緊張感」や「周囲の目」が集中力の維持に繋がり、フロー状態に入ることを後押しする。
    • : 開発者(SD6)は、「カレンダーに記入するか、ヘッドフォンをつけるか、他の人に視覚的に示す」ことで、共行動的フローを確保できると証言。
  • グループフロー: オフィスで生まれやすい。対面での円滑なコミュニケーションが、これを後押しすると考えられる。
    • : 開発者(SD8)は、仕事の目標を集合的に議論することが不可欠と指摘。
  • 私的対話的フロー/共有対話的フロー: オフィスとリモート、どちらでも発生し得る。ただし、タスクの共同作業の度合いが高いほど、オフィス環境が好まれる。

考察:「中断」をマネジメントし、フローを最大化せよ

本研究は、フロー体験が、作業環境、フローの種類、タスクの共同作業の度合いで大きく異なることを明らかにしました。従来、「中断=悪」とされてきましたが、本研究は、その常識を覆すものです。

  • 環境の使い分け: フローの種類に応じて、最適な環境を戦略的に使い分けよ。
  • 「良質な中断」: 共同作業では、フローを誘発、持続、促進する「良質な中断」を積極的に取り込め。
    • : 迅速なフィードバック交換、共同での問題解決、フローの伝達・共有。
  • ITコミュニケーションの課題: リモートでは、ITを介したコミュニケーションの質の低下が、共同作業のフローに悪影響を及ぼす。
    • : 開発者たちは、多くの開発ツールが協調的なITを介した作業をうまくサポートしていないと指摘。
  • 組織文化: 共同作業を奨励し、オープンかつ前向きなフィードバックを積極的に行う文化を醸成せよ。
    • : 開発者たちは、協力と建設的かつ前向きなフィードバックの文化が、心理的安全性を高め、それが専門的な自尊心、自己効力感、仕事への満足度、モチベーションに重要と証言。

結論: フローを操る4つのヒント

  1. 作業環境の戦略的使い分け: 単独作業はリモート、共同作業はオフィスなど、フローの種類に応じて環境を使い分け。
  2. 「良質」な中断の積極的活用: フローを阻害する中断は避け、促進する中断は積極的に活用。特に、共同作業では、即時かつ詳細なフィードバック、問題の共同解決、フローの伝達が重要。
  3. ITコミュニケーション環境の整備: リモートでの共同作業の質向上のため、ITコミュニケーションの環境整備を。
  4. オープンな組織文化の醸成: 共同作業を奨励し、前向きなフィードバックを積極的に行う文化を。

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参考資料: