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エンジニア離職の真因は燃え尽きじゃなかった?データが示す「エンゲージメント低下」の危険なサイン

ソフトウェア開発の現場において、エンジニアの離職は単なる人員の入れ替わりではなく、プロジェクトの遅延、品質の低下、そして莫大な採用・育成コストに繋がる深刻な経営課題です。この問題に対処するため、多くの企業が従業員の心理状態、特に燃え尽き症候群(バーンアウト)や、仕事への熱意や没頭を意味するエンゲージメントに注目しています。
本記事では、ソフトウェア専門職の燃え尽き、エンゲージメント、そして離職の関係性を、13,000人以上の大規模データを用いて多角的に分析した最新の研究「Predicting Attrition among Software Professionals: Antecedents and Consequences of Burnout and Engagement」(2024年)をご紹介します。
なぜエンジニアは辞めるのか?燃え尽きとエンゲージメントの関係性
高い知的要求と変化の速さが求められるソフトウェア開発の世界では、エンジニアが心身ともに疲弊してしまう「燃え尽き」が離職の主要因と長らく考えられてきました。
この問題を理解する上で参考になるのが 「Job Demands-Resources(JD-R)モデル」 です。このモデルによれば、過度な仕事の負荷(Job Demands)は燃え尽きを引き起こす一方、上司の支援や成長の機会といった仕事上の資源(Job Resources)は、仕事へのエンゲージメントを高めるとされています。エンゲージメントとは、単に燃え尽きていない状態ではなく、「活力」「熱意」「没頭」といったポジティブな心理状態を指し、生産性向上にもつながると考えられています。
多くの先行研究は燃え尽きの原因として「仕事の負荷(Job Demands)」に注目してきましたが、今回ご紹介する研究は、会社側が比較的コントロールしやすい、リーダーによるサポート、協力的な組織文化、学習の機会という「3つの仕事上の資源(Job Resources)」 が、エンゲージメントを高め、燃え尽きを抑制する上でどのような役割を果たすのかを深く分析しました。
さらに重要な点として、多くの研究が「辞めたい」という従業員の意向を調べているのに対し、この研究では調査から90日後に従業員が実際に離職したかどうかという客観的な実際の行動データも用い、より現実に即した分析を行っていることが特徴です。
エンジニアの心をつなぎとめるものは?離職プロセスを読み解く鍵
エンジニアが「この会社で働き続けたい」と感じる気持ち、すなわち在職意向は、一体どのようなプロセスを経て形作られるのでしょうか?研究チームは、そのメカニズムを解き明かすために、下図のような離職プロセスの設計図とも言えるモデルを考えました。
エンジニアの心をつかむ要因と離職への流れ
このモデルの考え方はシンプルです。まず、会社や職場環境が提供できる「資源」(図の左側)が、エンジニアの「感情」(中央)に影響を与えます。そして、その感情が良いものであればあるほど、「会社に残りたい」という「意思」(右側)につながる、という流れです。
会社がエンジニアに提供できる3つの資源
研究チームが特に注目したのは、会社がコントロールしやすい、以下の3つの組織的な資源です。
- 頼れるリーダーの存在:
- 単に仕事の指示をするだけでなく、キャリアや成長、心身の健康を気にかけてくれる上司がいるか。
- 困ったときに相談でき、成果をきちんと見て評価してくれるリーダーがいれば、安心して仕事に取り組めるでしょう。
- 協力し、挑戦できる職場風土:
- チームや部署の壁を越えて情報が共有され、お互いに助け合う雰囲気があるか。
- 新しいアイデアを試したり、失敗から学んだりすることが奨励される、風通しの良い職場かどうか。このような文化は「生成的組織文化」と呼ばれ、ポジティブな影響が大きいとされています。
- スキルアップ・成長のチャンス:
- 今のスキルを磨いたり、新しい技術を学んだりする機会が十分にあるか。
- 「この会社にいれば成長できる」と感じられる環境は、エンジニアにとって大きな魅力です。
資源がエンジニアの感情をどう変えるか
これらの資源が充実していると、エンジニアの心には2つのポジティブな変化が起こると考えられました。
- 仕事への情熱(エンゲージメント)の向上: 仕事に対する「やる気」「熱意」「没頭度」が高まります。
- 心身の消耗(燃え尽き)の抑制: 仕事による過度な「疲れ」「シラケ」「無力感」が抑えられます。
つまり、良いリーダー、良い文化、成長の機会があれば、エンジニアはイキイキと仕事ができ、燃え尽きにくくなるということです。
感情が最終的な意思へ
そして最後に、この感情の状態が、エンジニアの最終的な意思決定に影響します。
- 情熱(エンゲージメント)が高いほど、「この会社に残りたい」という気持ちが強くなる。
- 消耗(燃え尽き)がひどいほど、「この会社を辞めたい」という気持ちが強くなる、つまり残りたい気持ちが弱くなる。
研究チームは、この設計図が本当に正しいのか、実際のエンジニアのデータを使って検証しました。
会社の文化と学習機会:エンジニアの意欲を高め、消耗を防ぐ二本柱
さて、先ほどの離職プロセスの設計図は、あくまで研究チームが立てた仮説でした。これが本当に現実のエンジニアの状況に当てはまるのか?それを確かめるため、13,000人以上のエンジニアから集めた実際のデータを使って、要因間の「つながりの強さ」を分析しました。
やはり重要!文化と学びのダブル効果
分析の結果、設計図に描かれた矢印の多くが、データによって「確かにそうだ」と裏付けられました。特に、会社が提供できる3つの資源の中では、以下の2つがエンジニアの心に強い影響を与えていることが分かりました。
- 協力し、挑戦できる職場風土は、やはり効果が大きい!
- 風通しが良く、助け合い、失敗から学べる文化、すなわち生成的組織文化は、エンジニアの仕事への情熱(エンゲージメント)を大きく高め、同時に心身の消耗(燃え尽き)をしっかり抑える効果があることが、はっきりと数字で示されました。
- さらに、このような文化は、エンジニアが「この会社で学ぶチャンスがある」と感じる気持ちも後押ししていました。良い文化は、やる気と成長の両方を育む土壌になると言えます。
- スキルアップ・成長のチャンスも、やる気の源!
- エンジニアが「ここで成長できる!」と感じられる機会が多いほど、仕事への情熱(エンゲージメント)は高まり、心身の消耗(燃え尽き)は減る。これもデータで明確に確認されました。
つまり、会社全体でポジティブな文化を作り、エンジニアが学び続けられる機会を用意することが、彼らのモチベーションを維持し、疲れ果ててしまうのを防ぐための王道と言えそうです。
要因間のつながりの強さを表す分析結果
図の矢印の横にある数字は影響力のスコアのようなものです。数字が大きいほど、つながりが強いことを意味します。例えば、組織文化からエンゲージメントへの矢印は「.35」、学習機会からエンゲージメントへは「.37」となっており、どちらも強い影響があることが分かります。
リーダーの役割は、少し複雑?
一方で、「頼れるリーダーの存在」の影響については、少し意外な結果も出ました。
- 確かに、部下を気遣い、成長を後押しするリーダーがいると、心身の消耗(燃え尽き)は減り、学ぶチャンスも増える。これはデータでもしっかり確認できました。リーダーのサポートは、やはり重要です。
- しかし、「仕事への情熱(エンゲージメント)を直接高める効果」については、全体で見ると影響力がかなり弱いという結果でした。
これは、「リーダーのサポートは意味がない」ということではありません。例えば、リーダーが学ぶチャンスを作ってくれたり、燃え尽きないように配慮してくれたりすることで、間接的には情熱向上に貢献している可能性は十分にあります。ただ、情熱を直接的に高めるというよりは、他の要素(文化や学習機会)と連携して効果を発揮する、サポート的な役割が大きいのかもしれません。ただし、後述するように、これは人によって少し異なるようです。
最後に、予想通り、仕事への情熱(エンゲージメント)が高いほど、「会社に残りたい」気持ちは強くなり、心身の消耗(燃え尽き)がひどいほど、「会社に残りたい」気持ちは弱くなる、という関係もデータで確認されました。
離職意向を減らす最優先課題:燃え尽きへのケア
要因間のつながりが見えてきました。しかし、会社として「では、どこから手をつけるのが一番効果的なのか?」という疑問が湧くでしょう。限られた時間や予算の中で、エンジニアの「辞めたい」という気持ちを減らすために、最も優先すべき課題は何でしょうか?
対策の狙いどころを見つける分析ツール
目標(ここでは「会社に残りたい気持ち」)に対して、影響を与える各要因が、
- どれくらい重要か?:目標への影響力が大きいか小さいか
- 現状はどうなっているか?:今の会社の平均点は高いか低いか
という2つの視点から評価し、下図のようなマップ上にプロットします。
マップは4つのエリアに分かれていて、特に注目すべきは右下のエリアです。ここに入る要因は、「影響力は大きいのに、現状の点数が低い」ことを意味します。つまり、ここを改善することが、目標達成への一番の近道、「狙いどころ」と言えるでしょう。
「残りたい気持ち」への影響度マップ
マップの縦軸は現状の良し悪し(高いほど良い)、横軸は「残りたい気持ち」への影響力の大きさを示します。
なぜ「燃え尽き」が最優先なのか?
分析の結果、「心身の消耗(燃え尽き)」が、この 右下の「最優先改善エリア」 に位置することが明らかになりました。
これは、「燃え尽き」が「残りたい気持ち」を減らす力(重要度)はかなり大きいにもかかわらず、調査対象となったエンジニア全体の 現状を見ると、燃え尽きている人がかなり多い(パフォーマンスが著しく低い) ということを示しています。(マップでは、燃え尽きスコアは「低いほど良い」ため、グラフ上ではパフォーマンスが低い位置に来ます。)
つまり、エンジニアの「もう辞めたい…」という気持ちを食い止めるためには、まず、多くの人が苦しんでいる 「燃え尽き」の状態を改善すること が、最も効果的な一手になりそうだ、ということが示唆されたのです。もちろん、情熱(エンゲージメント)を高めたり、文化を良くしたりすることも大切ですが、それらは比較的良い状態にあるのに対し、「燃え尽き」という大きな問題が全体の足を引っ張っている、そんな状況が見えてきたのです。
実際の離職を防ぐ鍵:「仕事への情熱」と「学習機会」の重要性
「辞めたい気持ち」を減らすには、燃え尽きケアが重要。これは分かりました。しかし、会社にとって本当に知りたいのは、「実際に辞めてしまう行動」をどう防ぐか、という点でしょう。「辞めたい」と言っていても留まる人もいれば、何も言わずに去っていく人もいます。では、実際に会社を去る人を予測し、それを未然に防ぐためには、何が一番の「危険信号」なのでしょうか? この研究では、AI(機械学習)を使って、その答えも探っています。
AIは「実際に辞めた人」の特徴を見抜けるか?
研究チームは、調査時点でのエンジニアの回答データ(リーダーシップ、文化、学習機会、情熱、燃え尽き、残りたい気持ちのスコア)を使って、「90日後に実際に会社を辞めた人」と「辞めなかった人」をAIに見分けさせるモデルを構築し、その予測精度を検証しました。
結果として、このAIモデルは、かなり高い精度で「実際に辞めた人」の特徴を捉え、予測できることが示されました。これは、調査で測ったこれらの気持ちや環境が、単なるアンケートの回答にとどまらず、その後の実際の離職行動と深く結びついていることを示唆しています。
AIが注目した「離職のサイン」トップ2は?
さらに重要なのは、「AIが実際の離職を予測する上で、どの情報を最も重要と判断したか?」という点です。その結果は、これまでの分析とは少し異なる、非常に興味深いものでした。
AIモデルが「この人は辞める可能性が高い」と判断する際に最も重要とした要因は、「仕事への情熱(エンゲージメント)」であり、僅差で「スキルアップ・成長のチャンス(学習機会)」が続きました。
これは、「組織文化」や「リーダーの存在」よりも明らかに重要視されており、さらに言えば、先ほどの分析で「辞めたい気持ち」を減らす最優先課題とされた「燃え尽き」や、「残りたい気持ち」そのものよりも、AIモデルは「情熱」と「学びの機会」を離職予測の重要な要因として重視していたのです。
AIモデルが離職予測で重要とした要因
AIが離職予測で重要とした要因(特徴量) | 重要度スコア |
---|---|
仕事への情熱(エンゲージメント) | .201 |
スキルアップ・成長のチャンス | .191 |
協力し、挑戦できる職場風土 | .166 |
頼れるリーダーの存在 | .156 |
「残りたい」という気持ち | .144 |
心身の消耗(燃え尽き) | .143 |
スコアが高いほどAIモデルが重要視していることを示す。
この結果は何を意味するのでしょうか?それは、エンジニアが実際に会社を去るかどうかを予測し、それを防ぐためには、「燃え尽きているか?」や「辞めたいと言っているか?」以上に、「日々の仕事に情熱を持って取り組めているか?」そして「この会社で成長できると感じているか?」という点が、より強力なサインになるかもしれないということです。
画一的ではない影響:属性による違いを理解する
これまでは、エンジニア全体としての平均的な傾向を見てきました。しかし、「会社によっては、男性と女性で状況が違うのでは?」とか、「勤続年数によって響くポイントが異なるのでは?」と感じることもあるでしょう。研究では、そうしたグループごとの違いについても詳しく分析しています。
大きな違いはないけれど、注目すべき差も
分析の結果、多くの点では、性別や勤続年数、最終的に辞めたかどうかといったグループ間で、要因の影響の仕方に大きな違いは見られませんでした。これは、例えば「良い文化」や「学ぶチャンス」が多くのエンジニアにとって普遍的に大切であることを示しています。
しかし、いくつかの点では、見逃せない違いも浮かび上がってきました。
- リーダーの応援、女性にはより効果的?
- 先ほど、「リーダーのサポートが仕事の情熱(エンゲージメント)に直接つながる効果は、全体で見ると弱い」という結果が出ました。しかし、これを男女別に見ると、女性エンジニアの場合、リーダーからのサポートが情熱を高める効果が、小さいながらも統計的に有意にあることが分かりました(男性では見られませんでした)。
- キャリアを築く上で様々な壁を感じやすいとされる女性にとって、直属の上司からの気遣いや後押しは、男性以上に「頑張ろう」という気持ちにつながりやすいのかもしれません。
- 辞めた人が特に重荷に感じていたのは組織文化?
- この研究の特徴の一つは、「実際に辞めた人」のデータがあることです。辞めた人たちと、会社に残った人たちを比べてみると、特に職場風土(組織文化)が心身の消耗(燃え尽き)に与える影響に、はっきりとした差が見られました。
- 具体的には、辞めた人たちの方が、ネガティブな職場風土(助け合いがない、情報が滞る、失敗が許されないなど)が原因で燃え尽きを感じる度合いが、残った人たちよりも明らかに強かったのです。
- これは、「人は会社を辞めるのではなく、そのチームや文化を辞めるのだ」という考え方を、データが裏付けている可能性があります。辞める決断をした人にとっては、リーダー個人の問題以上に、職場の根深い文化の問題が、燃え尽きや離職の大きな引き金になっていた可能性が考えられます。
このように、全体的な傾向だけでなく、特定のグループに注目することで、よりきめ細やかな対策のヒントが見えてくることがあります。
まとめ:エンジニアが輝き続ける会社になるために
13,000人以上のエンジニアの声と実際の離職データから、彼らの意欲と定着の鍵を探ってきました。この研究が示す重要なポイントと、明日から取り組むべき方向性をまとめます。
この研究でわかった4つのポイント
- 土台は「良い文化」と「成長チャンス」: 協力的な文化と学習機会は、意欲向上と燃え尽き防止の基本であり、普遍的に重要です。
- 「辞めたい気持ち」の抑制には「燃え尽きケア」: 離職意向が高い場合、まず燃え尽き対策に取り組むことが効果的かもしれません。
- 実際の離職を防ぐ鍵は「情熱」と「成長」: エンジニアが実際に辞めるかどうかの強力なサインは、「仕事への情熱(エンゲージメント)」と「成長機会」です。
- 多様性への配慮: 全体傾向だけでなく、性別や経験による違い(例:女性へのリーダーシップ効果、離職者の文化への苦悩)を理解し、個別ケアも必要です。
明日へのアクション:エンジニアと組織のために
これらの発見を踏まえ、エンジニアにとって魅力的な職場であり続けるためのアクションを考えましょう。
- エンゲージメントと成長機会を最優先に: エンジニアの情熱と成長意欲は、離職を防ぐ最も重要な鍵です。挑戦的な仕事、適切な権限移譲、学びの機会提供を戦略的に行いましょう。
- 協力的で心理的安全性の高い文化を醸成: 失敗から学び、情報がオープンに共有され、互いに助け合える「生成的組織文化」の構築と、それを支えるリーダーシップの育成に本気で取り組みましょう。
- 予防的ケアとデータに基づく改善: 燃え尽きの兆候を早期に捉えケアする体制を整え、アンケートや面談などのデータを活用し、継続的に職場環境を改善していくことが不可欠です。
エンジニアの離職は大きな損失ですが、その原因は複合的です。燃え尽き対策はもちろん重要ですが、それ以上に、エンジニア一人ひとりが仕事への情熱を持ち続け、日々成長を実感できる環境を創造すること。それこそが、優秀な人材を惹きつけ、組織全体の持続的な成長を実現する道となるでしょう。
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参考資料: