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なぜエンジニアは開発現場を去ってしまうのか? - キャリア継続の鍵は"満足度"と"愛着"にあった!

変化が速く、刺激的なソフトウェア開発の世界。しかしその一方で、「このまま開発を続けていけるだろうか…」と悩み、開発職そのものから離れる「キャリア放棄」を選ぶエンジニアも後を絶ちません。これは、企業にとっても業界にとっても大きな損失です。一体なぜ、彼らは開発現場を去るという決断に至るのでしょうか?
燃え尽き症候群、人間関係、給与…理由は様々ですが、Massoniらによる最新の研究「Exit the Code: A Model for Understanding Career Abandonment Intention Among Software Developers」(2025年)は、見過ごされがちな「日々の技術的な仕事への満足度」と、それによって育まれる「キャリアへの愛着」が、驚くほど重要な鍵を握っていることを明らかにしました。
この記事では、その研究結果を紐解きながら、エンジニアが開発現場を去る背景にあるメカニズムと、私たちが今すぐできる対策について解説します。
エンジニアを蝕む「日常の不満」:キャリア放棄の火種
ソフトウェア開発の現場には、エンジニアの意欲を静かに削いでいく「日常の不満」が潜んでいます。Massoniらの研究では、実際にキャリアを放棄した元開発者たちが、その動機として以下のような技術的な不満点を挙げていました。
表1:ソフトウェア開発放棄につながる技術的動機(元開発者への調査、言及回数順)
言及回数 | 動機 | 具体的な不満の例 |
---|---|---|
39 | 不十分なタスク計画(PLAN) | 見積もりが甘い、無理なスケジュール、担当範囲外のタスク |
33 | 不十分な要件定義(REQ) | 要件が曖昧、品質が低い、変更が多い |
28 | 手戻り、不十分な見積もり(REW) | 同じ作業の繰り返し、計画外の変更による手戻り |
23 | 頻繁な要件変更(REQ) | (要件定義の不備と関連) |
16 | 技術的陳腐化の脅威(OBS) | スキルがすぐに古くなる、学び続けるプレッシャー |
11 | ドキュメント不足(DOC)、低いコード品質(CODE) | 仕様が分からない、コードが読みにくい、品質が低い |
これらの不満は、単なるストレスではなく、仕事へのやりがいを失わせ、「この仕事、続けていて意味があるのだろうか?」という根本的な疑問を生じさせます。そして、この疑問こそが、キャリアを続けたいという意欲、いわば 「キャリアへの愛着(コミットメント)」 を揺るがす火種となるのです。
キャリア継続の鍵は何か? - 最新研究が解き明かす「心のメカニズム」
Massoniらの研究では、「投資モデル」という心理学の理論を用いて、ソフトウェア開発者がキャリアを継続するかどうかの意思決定プロセスを分析しました。このモデルは、人のコミットメント(ここではキャリアへの愛着)が、「満足度」「代替案」「投資」という3つの要素に影響されると考えます。
研究チームは、この理論をソフトウェア開発者に適用し、図1のようなモデルを構築しました。ここでは、 日々の技術的な仕事への満足度(SAT_SD) 、 キャリア代替案の魅力(ALT) 、 これまでのキャリア投資(INV) が、 キャリアへの愛着(CMT) に影響し、その愛着が最終的に キャリア放棄意図(ABDN) につながる、という関係性を仮定しています。(SAT_SDは、表1で挙げたような DOC, REQ, REW, PLAN, CODE, OBS といった要素から構成されます)
図1:本研究で用いられた投資モデル(ソフトウェア開発者向け適応版)
そして、221人の現役開発者への調査データに基づき、これらの要素間の関係性を統計的に分析しました。その結果、キャリア継続において特に重要な 「3つの発見」 がありました。
発見1:最終判断は「キャリアへの愛着(コミットメント)」で決まる
分析の結果(図2参照)、エンジニアが開発現場を去るかどうかの意図に最も強く影響していたのは、「キャリアへの愛着」の強さでした(パス係数 -0.74)。どんな不満があっても、今のキャリアに対する強い愛着があれば、人は簡単には辞めません。逆に、愛着が薄れると、離脱の意向は著しく高まります。これは、キャリア放棄を防ぐ上で、「愛着」の維持がいかに重要かを示す、研究の核心的な結論です。
発見2:愛着の最大の源泉は「日々の仕事の満足度」
では、その重要な「キャリアへの愛着」は何によって育まれるのでしょうか? 研究データが明確に示したのは、「日々の技術的な仕事に対する満足度」が、キャリアへの愛着を育む上で最も大きな影響力を持つという関係性でした(パス係数 0.4)。
コーディング、設計、問題解決といった開発業務そのものがスムーズに進み、やりがいや達成感を感じられること。これが愛着の基盤となります。つまり、先ほど挙げた 「日常の不満」が少ない状態を維持することが、エンジニアのキャリア継続の土台となる のです。
発見3:「愛着」を揺るがす要因を知る(代替案と投資の罠)
一方で、キャリアへの愛着を低下させる要因も明らかになりました。
- 魅力的な「代替案」の存在: 今の仕事以外に良い選択肢があると、現在のキャリアへの愛着は低下する傾向が確認されました(パス係数 -0.35)。
- 「過去の投資」は”両刃の剣”: 興味深いのは、「これまでの投資(学習時間、経験など)」と「愛着」の関係です。研究データは、投資が必ずしも愛着を高めるわけではなく、むしろわずかに低下させる可能性を示唆しました(パス係数 -0.12)。これは、投資に見合った見返り(成長実感、評価、報酬など)がないと感じる場合、「報われない努力」として愛着を低下させる可能性を示唆しています。
図2:各要素間の関係性と影響の強さを示すパス図
図中の矢印の数字は影響の強さを示します。SAT_SDからCMTへ、CMTからABDNへの影響が大きいことが分かります
「愛着」を育み、エンジニアが輝き続けるために:研究結果に基づくアクション
これらの研究結果を踏まえ、エンジニアがキャリアへの愛着を持ち続け、開発現場で活躍し続けるためには、どのようなアクションが考えられるでしょうか?
「仕事の満足度」を徹底的に高める
キャリアへの愛着の土台である「日々の満足度」向上に、最優先で取り組みましょう。
- 開発環境の質的向上への投資:
- ドキュメント文化: 作成・維持のプロセスを確立する。
- 要件定義の質向上: 曖昧さを減らし、手戻りを防ぐ工夫。
- コード品質担保: レビュー、テスト、静的解析の徹底。
- 技術的負債への取り組み: 計画的に返済する時間を確保する。
- 現実的な計画立案: 開発者と協力し、無理のない進行を。
- 主体的な環境改善への貢献:
- 問題点の指摘と改善提案。チームでの知識共有。
「キャリアへの愛着」を直接的に育む
満足度の土台の上に、愛着そのものを育む働きかけも重要です。
- 成長・承認・目的意識の醸成:
- 挑戦と学び: スキルアップや挑戦の機会、学習支援。
- キャリア支援: キャリアパスの提示、定期的な面談。
- 貢献の可視化と評価: 正当な評価とフィードバック、称賛。
- ビジョン共有: 仕事の意義や目的を伝え、共感を促す。
- キャリアのオーナーシップを持つ:
- 自身のキャリアプランを考え、発信する。
「代替案への流出」を防ぎ、「投資」が報われる仕組みを作る
他社への魅力を相対化し、「ここで働き続ける価値がある」と感じてもらうための施策です。
- 魅力的な制度と納得感のある評価:
- 競争力のある待遇: 報酬、福利厚生の見直し。
- 透明性の高い評価: 評価基準の明確化と丁寧な説明。
- 成長と報酬の連動: スキルアップや貢献が報われる実感の醸成。
- 自身の市場価値を把握する:
- 社内外の情報を得て、自身のスキルや経験を客観的に評価する。
まとめ:エンジニアの未来は「満足度」と「愛着」にかかっている
ソフトウェアエンジニアが開発現場を去る「キャリア放棄」。その背景には、日々の技術的な仕事への満足度が、キャリアへの愛着を大きく左右するという、研究によって裏付けられたメカニズムがありました。
場当たり的な対策ではなく、エンジニアが日々の仕事に満足し、誇りと愛着を持って働き続けられる環境をいかに構築するか。これこそが、貴重な人材の流出を防ぎ、持続的な成長を実現するための本質的なアプローチと言えるでしょう。
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参考資料: