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ソフトウェア開発における「創造性」の正体とは?リモートワークと生成AI時代に求められるエンジニアの価値

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バグの修正、複雑な仕様の落とし込み、あるいは開発プロセスの改善など、ソフトウェアエンジニアの日常は「問題解決」の連続です。これら日々の業務において発揮される「創造性」は、革新的なプロダクトを生み出すだけでなく、エンジニア自身の幸福度やキャリア形成にも深く関わっています。

しかし、コロナ禍以降の完全リモートワークの定着や、ChatGPTに代表される生成AIの台頭により、この「創造性」の発揮の仕方は大きな転換点を迎えています。「リモートではアイデアが出にくい」「AIが設計するなら人間は何をするのか?」といった不安を感じている方も多いのではないでしょうか。

本記事では、カリフォルニア大学アーバイン校のVictoria Jackson氏による2025年の博士論文「Creativity in the Everyday Work of Software Professionals」に基づき、現代のエンジニアにおける創造性の実態を解説します。インタビュー、日記調査、実験から得られたデータをもとに、これからの開発現場で求められる「人間ならではの価値」を紐解いていきましょう。

1. 「日常的な創造性」の正体

ソフトウェア開発における創造性というと、ハッカソンでの突飛なアイデアや、世界を変えるようなイノベーションを想像しがちです。しかし本研究では、日々の業務の中で習慣的に行われる、独自の有意義な活動である「日常的な創造性」に焦点を当てています。

30名のソフトウェア専門家(開発者、PM等)を対象とした日記調査とインタビューからは、現場のリアルな実態が浮かび上がりました。

エンジニアにとっての創造性とは?

調査の結果、エンジニアは創造性を「斬新さ」よりも、 「有用な問題解決」 として捉えていることが分かりました。

  • 創造性は「ひらめき」だけではない: 多くの参加者が、創造性を「問題を別のアングルから見る能力」や「制約の中で最適な解を見つけるプロセス」と定義しました。
  • 誰もが創造的である: 創造性は特定の天才やデザイナーだけのものではありません。コーディング、テスト、計画策定、さらにはパフォーマンスレビューに至るまで、あらゆる役割・タスクの中に「創造性の種」は存在します。
  • 個人の幸福度との相関: 日常的に創造性を発揮できているエンジニアは、仕事への満足度が高く、ウェルビーイングが向上する傾向にありました。

創造性を阻む壁と工夫

エンジニアは、創造的な時間を確保するために、意識的にスケジュールをブロックしたり、あえて「何もしない熟考の時間」を設けたりしています。しかし、納期のプレッシャーや、細切れの会議によるコンテキストスイッチが、この「日常的な創造性」を阻害する最大の要因となっていることも明らかになりました。

2. 完全リモートチームはいかにして「共創」するか

物理的に離れた場所にいるメンバー同士が、ホワイトボードなしでどのように複雑な成果物(設計書やコード)を作り上げているのでしょうか。

25名の完全リモート勤務者を対象とした調査では、チームが成果物を共同作成する際に、以下の 「4つのモデル」 を使い分けていることが特定されました。

図表1:4つの共創モデル 図表1:4つの共創モデル

このモデルは、「コミュニケーションの同期性(Sync/Async)」と「参加者の数(単独/複数)」の2軸で整理されます。

  1. SA (Single Author & Asynchronous): 1人が作成し、チャットやドキュメントコメントなどで非同期にフィードバックを受ける。深い思考時間を確保できるため、複雑な設計の初期段階に向いています。
  2. MA (Multiple Authors & Asynchronous): Wikiや共有ドキュメントに対し、複数人が非同期で加筆・編集するスタイル。
  3. SS (Single Author & Synchronous): 1人が作成したものを、会議で画面共有しながら発表し、その場でフィードバックを得る。レビュー会などが該当します。
  4. MS (Multiple Authors & Synchronous): 全員がZoom等に集まり、Miroなどのデジタルホワイトボードを使ってリアルタイムに同時編集する。ブレインストーミングや初期のアイデア出しに有効です。

重要なのは「チェーン(連鎖)」です。 例えば、「MSモデルで全員でアイデアを発散させ(発散)、その後SAモデルで一人が持ち帰って詳細を詰め(収束)、最後にSSモデルで合意形成する」といったように、タスクの性質に応じてモデルを意図的に切り替えることが、リモート環境で創造性を維持する鍵となります。

3. 生成AI(LLM)はソフトウェア設計の創造性を高めるのか

ChatGPTなどの大規模言語モデル(LLM)は、コーディングの生産性を劇的に向上させています。では、より抽象度の高い「ソフトウェア設計」における創造性についてはどうでしょうか?

本研究の第3部では、18組(計36名)のソフトウェア専門家ペアに、架空の「大学キャンパス向け自転車駐輪アプリ」を90分間で設計してもらう実験を行いました。LLMの使用は任意です。

調査結果:AIは「手」を動かすが、「心」は動かさない

結果として、LLMは「知識の検索」や「ドラフト作成(叩き台)」には非常に有用でしたが、最終的な成果物に含まれる 「創造的な要素」の源泉は、依然として人間にあることが判明しました。

図表2:設計書に含まれる創造的要素の数とLLM利用の関係 図表2:設計書に含まれる創造的要素の数とLLM利用の関係。各Pのオレンジ色は「全面的に利用」、青色は「部分的に利用」、ピンク色は「不使用」を示しています。

図表2は、各ペアが作成した設計書に含まれていた「創造的な要素(予期せぬ、価値があり、有用な機能や設計)」の数を示しています。

  • AI依存 ≠ 創造性: LLMに設計のほぼ全てを委ねたペア(オレンジ色)のうち、1組の成果物には創造的要素がゼロでした。また、部分的に利用したペア(青色)でも4組がゼロとなっており、AI利用の有無や度合いそのものが創造性を保証するわけではないことが示唆されています。
  • 創造性の源泉は「人間」: 最も高い創造性(4つの要素)を示したのは、AIを部分的に活用したペア(青色)でした。評価された創造的なアイデアの多くは、AIの出力ではなく、参加者自身の過去の業務経験や、ユーザーへの共感、類似サービスからの類推から生まれていました。
  • AIによる固定化のリスク: LLMが提示した初期案が「もっともらしい」ため、それに引きずられてしまい、他の可能性を探らなくなる「アンカリングバイアス」や「デザインの固定化」が発生するケースも見られました。

人間中心の設計プロセスへ

LLMは、定型的なAPI定義の作成や、考慮漏れの指摘(レビュー)においては強力なパートナーとなります。しかし、ユーザーの痛みを想像したり、ビジネスの文脈に合わせて仕様を大胆に変更したりといった「創造的なジャンプ」は、まだ人間の専門領域です。

結論:AI時代のエンジニアに求められること

Victoria Jackson氏の研究は、これからのソフトウェア開発における「創造性」について、重要な示唆を与えてくれます。

  1. 創造性は「有用な問題解決」である 日常の業務における小さな工夫や改善こそが創造性です。それを認識し、評価する文化が組織には求められます。
  2. リモートワークは「意図的な設計」で武器になる 「集まればなんとかなる」のではなく、同期・非同期のモデルをタスクに合わせてパズルのように組み合わせることで、オフィスワーク以上の効率と創造性を発揮できる可能性があります。
  3. AIは「ツール」、人間は「指揮者」 生成AIはプロセスを効率化し、思考の時間を生み出してくれます。しかし、創造的な成果を生み出すために必要な「文脈の理解」「共感」「意思決定」は、エンジニア自身の経験と専門知識にかかっています。

AIツールがどれほど進化しても、現場のエンジニアが持つ経験や直感、そしてチームでの対話こそが、価値あるソフトウェアを生み出す核心であり続けるでしょう。


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参考資料:

Author: vonxai編集部

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