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アジャイル開発の「プロセス負債」がワークロードに与える影響とは?

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アジャイル開発を採用しているにもかかわらず、チームが常に何かに追われ、疲弊していると感じることはないでしょうか。「コードの品質」に関わる「技術的負債」については多くの議論がなされていますが、日々の業務プロセスの中にも、開発者の作業負荷(ワークロード)を目に見えない形で増大させる「負債」が潜んでいます。それが 「プロセス負債」 です。

本記事では、Gustavssonらによる研究論文「Overburdened by Debt: A Quantitative Study of Process Debt’s Effect on Workload in Agile Teams」(2025年)に基づき、プロセス負債がアジャイルチームのワークロードにどのような影響を与えているのか、その定量的調査の結果を詳しく解説します。

開発者を苦しめる「プロセス負債」の定義

ソフトウェア開発において「負債」といえば、一般的にコードやアーキテクチャの妥協を指す「技術的負債(Technical Debt: TD)」が想起されます。しかし、近年注目されている「プロセス負債(Process Debt: PD)」は、技術的な側面ではなく、組織のプロセスや手順における非効率性を指す概念です。

論文では、プロセス負債を 「最初は短期的な利益や利便性のために導入されたものの、時間の経過とともに開発活動における労力や課題を増大させる、最適ではないプラクティス」 と定義しています。

プロセス負債の5つの分類

研究では、Martiniらによるフレームワークに基づき、アジャイル開発におけるプロセス負債を以下の5つに分類しています。

  1. プロセスの不適合 (Process Unsuitability) 組織の手順がチームの実情に合っておらず、不要なステップや調整不足を強いる状態。
  2. 役割の負債 (Roles Debt) 役割や責任が不明確、あるいは競合しており、タスクの重複や混乱を招いている状態。
  3. 同期の負債 (Synchronization Debt) 並行して進む作業間の調整が不足しており、手戻りや待ち時間が発生している状態。
  4. ドキュメントの負債 (Documentation Debt) ドキュメントが不足している、古い、あるいは過度に複雑で、情報検索に無駄な時間がかかる状態。
  5. インフラストラクチャの負債 (Infrastructure Debt) ツールやプラットフォームが古い、統合されていない、または不適切で、手作業や回避策(ワークアラウンド)を余儀なくされる状態。

調査結果①:現場が最も感じている課題は「役割の曖昧さ」

この研究では、スウェーデンの2つの大規模組織(通信系コンサルティング企業とFintech企業)に所属するアジャイルチームのメンバー191名(開発者、テスター、スクラムマスターなど)を対象に調査が行われました。

調査では、参加者が認識している5種類のプロセス負債のレベルと、自身のワークロード(作業の量および認知的負担)について回答を求めています。

記述統計(下表)を見ると、すべての変数が7点満点中4点を超えており、現場である程度の負債とワークロードが認識されています。特に注目すべきは 「役割の負債(Roles Debt)」の平均値が4.91と最も高い点です。多くのメンバーが、役割や責任範囲の不明確さに課題を感じている実態が浮き彫りになりました。

変数名平均値 (Mean)標準偏差 (SD)
ワークロード (Workload)4.521.20
役割の負債 (Roles Debt)4.911.03
プロセスの不適合 (Process Unsuitability)4.701.02
インフラの負債 (Infrastructure Debt)4.481.16
ドキュメントの負債 (Documentation Debt)4.241.08
同期の負債 (Sync Debt)4.231.22

調査結果②:ワークロードを増大させる3つの主要因

具体的にどのプロセス負債が開発者のワークロードを増やしているのか、統計分析の結果を解説します。

相関分析の結果:5つすべての負債がワークロードと正の相関を示す

各プロセス負債とワークロードとの相関関係を確認したところ、5つすべてのプロセス負債が、ワークロードの増加と統計的に有意な正の相関を示しました。負債の種類にかかわらず、プロセス上の問題が認識されるほど、開発者の負担も増加する傾向にあります。

重回帰分析による特定:影響力が大きい3つの因子

さらに研究チームは、各要因が互いに影響し合う状況下で、どれがワークロードを予測する因子なのかを特定するために重回帰分析を行いました。その結果、以下の3つのプロセス負債が、ワークロード増加の統計的に有意な予測因子であることが判明しました。

  1. 同期の負債 (Sync Debt)
    • 影響度(ベータ値):0.292 (p < 0.001)
    • 最も強い影響力を持ちます。チーム間の連携ミスや調整不足は、手戻りや待ち時間を生み、開発者に最大の負荷を与えています。
  2. 役割の負債 (Roles Debt)
    • 影響度(ベータ値):0.266 (p < 0.001)
    • 役割の曖昧さは、タスクの確認や責任の押し付け合いといった認知的な負荷を直接的に高めます。
  3. インフラの負債 (Infrastructure Debt)
    • 影響度(ベータ値):0.193 (p = 0.010)
    • ツールの不備は、手作業や回避策(ワークアラウンド)を強制し、物理的な作業量を増やします。

考察:なぜ「ドキュメント」の影響は限定的だったのか?

興味深い点として、「プロセスの不適合」と「ドキュメントの負債」については、単独ではワークロードと相関していたものの、他の負債と合わせて分析すると、有意な予測因子ではなくなりました。

論文ではこの理由について、アジャイル開発の特性である 「対面コミュニケーション」や「柔軟な適応力」 が影響していると考察しています。

  • ドキュメント不足への耐性: アジャイルチームでは頻繁な対話が推奨されるため、ドキュメントが多少不十分でも、メンバー間のコミュニケーションで補完できている可能性があります。
  • 構造的なボトルネックの違い: 一方で、「同期(他チームとの調整)」や「役割(責任範囲)」の問題は、個人のコミュニケーション努力だけでは解決しづらく、構造的なボトルネックとなって開発者の時間を強制的に奪うため、より深刻な影響を与えていると考えられます。

結論:組織が優先すべき対策

本研究の結果は、アジャイルチームのリーダーやマネージャーに対して、明確な優先順位を示唆しています。開発チームの持続可能な生産性を維持するために、以下の3点に集中的に取り組むべきです。

  1. 同期(Synchronization)の強化 大規模アジャイルでは特に重要です。チーム間の依存関係を可視化し、手戻りや重複作業を防ぐための調整プロセス(スクラム・オブ・スクラムの改善など)を強化する必要があります。
  2. 役割(Roles)の明確化 「自己組織化」は「役割を決めないこと」ではありません。役割定義ワークショップなどを通じて、誰が何に責任を持つのか、期待値を明確にすることで、無駄な確認作業や心理的負担をなくすことができます。
  3. インフラ(Infrastructure)への投資 古いツールや統合されていないプラットフォームは、開発者の時間を浪費させます。開発ツールや自動化環境への戦略的な投資は、ワークロードの削減に直結します。

プロセス負債は、放置すれば確実にチームを疲弊させます。特に影響の大きい「同期」「役割」「インフラ」から順に対処することで、効果的にワークロードを適正化できることが、本研究によって示されました。


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参考資料:

Author: vonxai編集部

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