Home

心理的安全性だけでは発言は増えない。開発チームの離職防止と成果向上を叶える新事実

公開日

img of 心理的安全性だけでは発言は増えない。開発チームの離職防止と成果向上を叶える新事実
•••

ソフトウェア開発の現場において、チームメンバーが積極的にアイデアを提案する「発言」と、懸念を抱きながらも口を閉ざす「沈黙」は、単なるコミュニケーションの多寡以上の意味を持ちます。これらはチームの成果や個人のメンタルヘルスに、実際どのような影響を与えているのでしょうか。多くのリーダーは「心理的安全性があれば自然と発言が増える」と考えがちですが、最新のデータは、それらがより複雑で、それぞれ独立したメカニズムで動いていることを示しています。

本記事では、Information and Software Technology誌(2025年)に掲載予定の研究論文「The Role of Voice and Silence Behaviors in Software Development: A Structural Equation Modeling Analysis」に基づき、ソフトウェア専門家の行動心理とその影響について解説します。150名以上のソフトウェア専門家を対象とした調査結果から見えてきた、パフォーマンス向上と離職防止のための具体的な鍵を紐解いていきます。

「発言」と「沈黙」は正反対の行動ではない

まず理解すべき重要な点は、職場における「発言」と「沈黙」は、単にコインの裏表の関係ではないということです。本研究では、これらを全く異なる動機づけシステムに基づく、独立した心理状態として定義しています。

  • 発言(Voice): 現状を改善しようとする前向きな行動です。これは、報酬や機会を得ようとする人間の本能的な「行動活性化システム」に基づいています。
  • 沈黙(Silence): 情報を意図的に自分の中に留める行動です。これは、処罰や脅威を回避しようとする「行動抑制システム」に基づいています。

つまり、「沈黙していないからといって、積極的に発言しているわけではない」ですし、「発言している人が、別の重要な懸念については沈黙している可能性もある」のです。この二つを分けて考えることが、チームマネジメントの第一歩となります。

行動を引き起こす要因:心理的安全性と「影響力」の認識

開発者がなぜ発言し、なぜ沈黙するのか。その原動力について分析した結果、それぞれに異なるスイッチが存在することが明らかになりました。

理論モデルと仮説 図表1:理論モデルと仮説

1. 「沈黙」を減らすのは心理的安全性

分析の結果、心理的安全性は、開発者の「沈黙」を抑制することに非常に強い効果があることがわかりました。チーム内でリスクを取っても安全だと感じられる環境は、処罰や人間関係の悪化を恐れて口をつぐむ行動を、直接的に減らす働きがあります。一方で、心理的安全性が高いだけで、積極的な「発言」が劇的に増えるわけではないことも示されました。安全なだけでは、人は必ずしも口を開くわけではないのです。

2. 「発言」を増やすのは影響力の実感

では、何が開発者を積極的な発言へと駆り立てるのでしょうか。調査で最も強い関連性を示したのは 「認知された影響力(Perceived Impact)」 でした。これは、「自分の発言や行動が、仕事の結果やチームに良い影響を与えられる」という確信を指します。開発者は、自分の意見が聞き入れられ、実際に変化を起こせると信じられるときに初めて、エネルギーを使って提案を行おうとします。

パフォーマンスと燃え尽き(離職行動)への影響

発言と沈黙は、それぞれ「仕事のパフォーマンス」と「心理的離脱(燃え尽きや離職の前兆)」に対して、対照的な影響を与えていることが分析により判明しました。

1. 「沈黙」は燃え尽きを招く

調査結果で特に注目すべきは、言いたいことを飲み込む「沈黙」が、心理的離脱と強く結びついているという点です。心理的離脱とは、仕事への関心を失い、精神的に距離を置く状態を指し、離職の直接的な予兆となります。懸念や不満を抱え込むことは、開発者のエネルギーを著しく消耗させることがデータからも裏付けられました。一方で、「発言すること」自体には、この燃え尽きを減らす効果は確認されませんでした。つまり、「もっと発言しよう」と促すだけでは、メンバーのメンタルヘルスを守ることはできないのです。

2. 「発言」はタスクパフォーマンスを高める

一方で、積極的な発言行動は、個人のタスクパフォーマンス向上と明確なプラスの関係を示しました。改善提案や建設的な意見交換を行う開発者は、仕事を効率的に計画し、高い品質のアウトプットを出す傾向にあります。逆に、沈黙していること自体が直接的にパフォーマンスを下げるという強い証拠は見つかりませんでした。沈黙は個人の内面(メンタル)を蝕み、発言は外部への成果(パフォーマンス)を高めるという、異なる影響の出方が確認されたのです。

結論:開発チームのマネジメントへの示唆

本研究の結果は、ソフトウェア開発チームのリーダーやマネージャーに対して、目的に応じて異なるアプローチが必要であることを示唆しています。

1. 離職や燃え尽きを防ぎたい場合

最優先すべきは「沈黙」を減らすことです。そのためには 「心理的安全性」 の確保が不可欠です。

  • アジャイルのレトロスペクティブ(振り返り)では、個人の責任を追及せず、プロセスの改善に焦点を当てる。
  • ミスや失敗を共有しても「非難されない」という実績をチーム内で積み重ねる。
  • 単に意見を求めるだけでなく、言いにくいことを言っても安全な雰囲気作りを徹底する。

2. チームのパフォーマンスを向上させたい場合

「発言」を促すことに注力してください。そのためには 「認知された影響力」 を高める必要があります。

  • メンバーの提案が実際に製品やプロセスに反映された事例を可視化し、共有する。
  • 提案が採用されなかった場合でも、その理由を誠実にフィードバックし、無視されたと感じさせない。
  • エンジニアの貢献が組織やプロジェクトにどのようなインパクトを与えているかを常に伝える。

「発言を促すこと」と「沈黙を減らすこと」は、それぞれ別のレバーを操作する行為です。現場の課題がイノベーション不足(発言不足)なのか、それともメンバーの疲弊(沈黙過多)なのかを見極め、適切なアプローチを取ることが、健全で高パフォーマンスなチームを作る鍵となります。


開発生産性やチームビルディングにお困りですか? 弊社のサービス は、開発チームが抱える課題を解決し、生産性と幸福度を向上させるための様々なソリューションを提供しています。ぜひお気軽にご相談ください!

参考資料:

Author: vonxai編集部

Google Scholarで開発生産性やチーム開発に関する論文を読むことが趣味の中の人が、面白かった論文やレポートを記事として紹介しています。